TOPページについて

【秋のはじまり】
11月になり気温がグンと下がってくると、いよいよ美しい紅葉の季節となります。
日本全国に名だたる紅葉スポットがありますが、都内にも紅葉の名所がたくさんありますので、今回は都内の紅葉スポットをご紹介いたします。いずれも都心からアクセスしやすいので、日帰りで気軽に紅葉狩りが楽しめますので是非行ってみてはいかがでしょうか。

 

■旧芝離宮恩賜庭園
東京都港区海岸一丁目にある庭園で、小石川後楽園と共に、今東京に残る江戸初期の大名庭園の一つです。「回遊式泉水庭園」の特徴をよくあらわした庭園で、池を中心とした庭園の区画や石の配置は、非常に優れています。
明暦(1655~1658年)の頃に海面を埋め立てた土地を、延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝が4代将軍家綱から拝領しました。
幾人かの所有者を経たのち、大正13年1月に、皇太子(昭和天皇)のご成婚記念として東京市に下賜され、園地の復旧と整備を施し、同年4月に一般公開しました。また、昭和54年6月には、文化財保護法による国の「名勝」に指定されました。庭園内には経験者用の和弓弓道場が設置されています。
旧芝離宮恩賜庭園:https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index029.html

 

■小石川後楽園
小石川後楽園は江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川の祖である頼房が、その中屋敷(のち上屋敷)に造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。
庭園の様式は池を中心にした回遊式築山泉水庭園になっており、光圀は造成にあたり明の遺臣朱舜水の命名によるなど中国趣味豊かな庭園です。
後楽園の名は中国の范仲淹「岳陽楼記」の「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名づけられています。
小石川後楽園は文化財保護法により、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。
小石川後楽園:https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index030.html

 

■六義園
六義園は造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられておりました。元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳澤吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。
六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園です。
庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来します。
11月7日「立冬(りっとう)」 も過ぎましたので、紅葉はこれからが本番です。 池の周りの樹々も色づいてきているようです。 松の冬支度「菰巻き」も目にすることができます。
六義園:https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index031.html

 

■清澄庭園
清澄庭園は、当社近郊の東京都江東区清澄二・三丁目にある、泉水・築山・枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」です。
庭園の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として 一応の竣工をみました。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を 代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。
清澄庭園:https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index033.html

 

■新宿御苑
新宿御苑は徳川家康の家臣内藤清成が賜った大名屋敷がそのツールといわれています。
明治維新後に国営の農事試験場が創設され、宮内省の御料地を経て、明治39年(1906年)に皇室庭園として誕生、その後、国際外交拠点のパレスガーデンとして発展し、昭和24年(1949年)に国民公園として一般に公開されました。
フランスの造園家のデザインによるヨーロッパ式の整形式庭園と風景式庭園、日本庭園を巧みに組み合わせた庭園は、明治時代の代表的近代西洋庭園であり、日本における数少ない風景式庭園の名作といわれています。
新宿御苑:https://fng.or.jp/shinjuku/